こんにちわ。SINです。
まずは簡単な自己紹介からはじめます。
1974年生まれ
専門学校卒業→派遣社員(10年)
栃木県出身・在住
独身
- せどりスタートから独立まで
せどりをはじめたのは、当時読んでいた経済誌に「せどり」という副業ビジネスがあることを知ったことがキッカケです。
当時、僕は派遣社員としてあちこちの工場を転々と勤務していました。
これといった趣味もなく、なんの取り柄もなく、ただただ毎日仕事に追われているつまらない人間。
それが当時の僕の自己評価です。
このままじゃダメだ、と思いながら具体的になにがどうダメで、どうしたいのかもわからず、そんな中で「資格」や「副業」といった情報欲しさに読んた経済誌で出会ったのが「せどり」だったんです。
ネットでモノが売れていくことに驚き、これはやれる!と手ごたえを感じました。
当時、ネットでお金を稼ぐ「せどり」は今ほどメジャーな副業ではなく、すぐに結果が出たことも自信に繋がったのだと思います。
僕が最初に取り組んだのは、店舗せどりでした。
立ち寄れる店舗があれば、残業で疲れていても必ず立ち寄り、土日になれば早朝から深夜まで仕入れや納品作業。
とにかく全力でせどりに取り組みました。
その結果、月商はすぐに100万円を超えるようになしました。
ひと月でそんな金額を動かしたことなどありませんでしたから、信じられないというか、びっくりしたことを今でも憶えています。
なにしろ100万円といったら、当時の僕の年収のおよそ半分に匹敵する金額でした。
いやいや年収低すぎるでしょう、と思われそうですが本当の話です。
当時の給料は手取りで15-6万。残業80時間プラスしても18-19万程度。
残業もなく出勤日数の少ない閑散期などは、手取り11万という月もある極貧環境でした。
とにかく生活を変えたい!
その一心でひたすら頑張った結果、気が付いたら年商が1,600万を超えていました。
本業よりもはるかに少ない時間で、本業の年収を楽々超えたことは衝撃でしたし、せどりの可能性しか感じませんでした。
このことに自信を持ち、やがて僕は脱サラして独立します。
- 独立起業。店舗せどりで基盤づくり
独立したことで、平日も自由に好きなだけ仕入れができるようになりました。
こうなってくると、地元や県内だけの店舗せどりでは満足できなくなります。
というより、仕入れ先が足らなくなってくるんですね。
仕入エリアを広げて、隣県、近県へ。すぐに遠地にまで遠征するようになりました。
当時の仕入れ先をマーキングしたグーグルマップがこちらです。
1日の見込み利益が10万くらいは取れるルートをいくつも構築しているうちにこうなりました。
せどりは行動量で成否が決まりますが、それはこのころから変わっていません。
お店の少ない田舎では店舗せどりは難しいと言われがち。だったら回る店舗を増やせばいいわけで。
単純に行動量でカバーができます。
むしろ田舎はライバルも少ないので仕入れ先を多く知っているほど稼ぎやすいです。
こんな調子でせどりを続けているうちに、年商は倍以上に成長しました。
- 融資を受けて事業拡大
この頃まで自己資金のみでがんばっていましたが、銀行の営業さんから声を掛けられ、融資を受けることにしました。
この事が、事業拡大の大きな転機になっていたと思います。
はじめての融資で資金が増えたことにより、それまで以上にいろいろな販売戦略を取りやすくなり、業績はどんどん成長します。
この頃になると月収も100万円近辺で安定するようになってきました。
やがて、両親の介護がスタートしたために店舗せどりを卒業し、その後は電脳せどりにシフトしていきました。
電脳せどりはスクールで基礎から学び、同じスクールで無在庫販売や外注化までマスターして現在に至ります。
家事や介護で家を留守にできないため、今では完全に在宅で稼ぐスタイルでがんばっています。
父親は他界しましたが、現在は認知症の母と脳梗塞の叔母のダブル介護を奮闘中です。
心折れそうなときもありますが、もしせどりと出会わずに、年収たったの200万円のまま派遣社員を続けていたら、今頃どうやって介護や生活を成り立たせることができていたか想像もできません。
僕の経験が、かつての僕と同じような境遇で困っている人の助けになればと思いこのブログをスタートさせました。
せどり実践者の目線から、お役に立てる情報をできるだけわかりやすく発信していきますので、これからどうぞよろしくお願いいたします。
なにかあればお問い合わせからご相談ください。